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佐野元春「君を探している」①(編集中)

「君を探している」という歌も心に残っている歌です。 私が中学生のころ、2枚目に買った佐野元春のアルバムは、「ハートランド」というライブアルバムでした。このアルバムを通して、元春の80年代の名曲の多くにふれる機会をもちました。 「君を探している」は、このアルバムの中で3番目の曲で、「ワイルドハーツ」の歌い終わりから、急に元春がカウントをとって始まります。このつながりは印象的でした。時代としては、「ワイルドハーツ」のほうが数年後にできた曲なのですが、そこから遡るかたちになりますが、そうしたタイムスリップよりも、私が感じたのは、これら2曲が描き出す風景や心象の「つながり」のようなものでした。 この2曲を原曲で聞くと、確かにかなりのタイムラグを感じます。「ワイルドハーツ」が様々な意味で、よりロックミュージシャンとして経験と見聞を積んだ洗練された音楽に聞こえます。しかし、通底する精神は同じであるとともに、ライブにおいては、いずれもバンドである「ハートランド」のライブサウンドに変化しています。ですので、特に「君を探している」の古めかしさは全く感じさせないのです。これは、「ハートランド化」と呼びたいような現象です。 さて、「君を探している」は実に不思議な曲、元春でなければ表現できないであろう、言葉とメロディによって編まれたナンバーです。聴く人によっては、「なんだこれは」と無茶苦茶な曲に聞こえるかもしれません。 (以下、書きかけ)

佐野元春「ガラスのジェネレーション」

このブログでは、主に佐野元春の曲のことを書こうと思っているのですが、一番最初に何を書きたいかと考えた時、それはまず「ガラスのジェネレーション」のことでした。 「ガラスのジェネレーション」は昔から好きな曲ですが、年月がたっても聴き飽きない曲です。時々間をあけて聴くと、そのたびに元気をもらえます。 80年代の半ば以降、元春のライブではしばらく歌われない時期もあったそうですが、様々なライブバージョンがあります。1980年代半ばの横浜スタジアムミーティングでは、ピアノ伴奏によるスローバージョンなどもありますが、私にとって、一番エネルギッシュで心に響いたのは、ハートランド解散ライブ「ライブ・ホー!」における演奏です。数万人の観衆を前に、「Hello City Lights!」のところで手を振る元春、転調後の最後のパートで力強く「つまらない大人になりたくない」と叫ぶ元春の歌には心が震えます。元春のライブ演奏の中でも、最もパワフルなワンシーンだったのではないかと(勝手に)思っています。 この曲から受け取るメッセージは、他の元春の楽曲と同様、一人一人異なるでしょう。色々な受け取り方がありますが、私には、この曲は、社会の変革を求め、理想を追求する若者たちの運動の消失を背景にした曲のように思えます。元春が少年時代を送った1970年代、大学で学生運動などが激しく起こり、元春はボブ・ディランの曲などを聞きながら、「本当に社会が大きく変わるかもしれない」と感じていたといいます。 しかし、そうした社会の熱気が冷める中、社会の変革を求める理想主義者たちは、人々の「連帯」が衰退する中で孤立化していったように思います。そして、その傾向は現在まで続いていきます。理想を抱く者は、「ひとりぼっち」の寂しさを味わいながら孤独に闘いつづけなければならなくなりました。「さよならレボリューション」という言葉はそのように聞こえます。 (*脱線になりますが、この「ひとりぼっち」は、夏目漱石の小説「こころ」において、「先生」が「私」に書いた手紙の中の言葉、「自由と独立と己とに充た現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」に重なるところがあります。) 主人公は、そのように理想や社会変革の夢を描きながらも、そうした理想や夢がいずれ滅びさる運命を知りつつも、「He...