佐野元春「ガラスのジェネレーション」
このブログでは、主に佐野元春の曲のことを書こうと思っているのですが、一番最初に何を書きたいかと考えた時、それはまず「ガラスのジェネレーション」のことでした。
「ガラスのジェネレーション」は昔から好きな曲ですが、年月がたっても聴き飽きない曲です。時々間をあけて聴くと、そのたびに元気をもらえます。
80年代の半ば以降、元春のライブではしばらく歌われない時期もあったそうですが、様々なライブバージョンがあります。1980年代半ばの横浜スタジアムミーティングでは、ピアノ伴奏によるスローバージョンなどもありますが、私にとって、一番エネルギッシュで心に響いたのは、ハートランド解散ライブ「ライブ・ホー!」における演奏です。数万人の観衆を前に、「Hello City Lights!」のところで手を振る元春、転調後の最後のパートで力強く「つまらない大人になりたくない」と叫ぶ元春の歌には心が震えます。元春のライブ演奏の中でも、最もパワフルなワンシーンだったのではないかと(勝手に)思っています。
この曲から受け取るメッセージは、他の元春の楽曲と同様、一人一人異なるでしょう。色々な受け取り方がありますが、私には、この曲は、社会の変革を求め、理想を追求する若者たちの運動の消失を背景にした曲のように思えます。元春が少年時代を送った1970年代、大学で学生運動などが激しく起こり、元春はボブ・ディランの曲などを聞きながら、「本当に社会が大きく変わるかもしれない」と感じていたといいます。
しかし、そうした社会の熱気が冷める中、社会の変革を求める理想主義者たちは、人々の「連帯」が衰退する中で孤立化していったように思います。そして、その傾向は現在まで続いていきます。理想を抱く者は、「ひとりぼっち」の寂しさを味わいながら孤独に闘いつづけなければならなくなりました。「さよならレボリューション」という言葉はそのように聞こえます。
(*脱線になりますが、この「ひとりぼっち」は、夏目漱石の小説「こころ」において、「先生」が「私」に書いた手紙の中の言葉、「自由と独立と己とに充た現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」に重なるところがあります。)
主人公は、そのように理想や社会変革の夢を描きながらも、そうした理想や夢がいずれ滅びさる運命を知りつつも、「Hello City Lights!」と街明かりに心の中で呼びかけながら、この街での自分と生活を肯定して生きていこうとしています。
ラブソング的な表現も歌詞の中にありますが、ここでの「君」は「社会」を表しているように私は感じます。「君はどうにもかわらない 悲しいけれど」は、社会変革に対するある種の諦観を表しているように思います。しかし、その中で、「君のまぼろしを守りたい」とも主人公はつぶやきます。「君を守りたい」ではなく「君のまぼろしを守りたい」という歌詞は実に元春らしい言葉だと思います。ここでの「まぼろし」とはかつて心に思い描いた「理想」のことではないでしょうか。この歌詞を聞くと、毎回子どものように心がキュンとなってしまうのです。「こうあってほしい」と思うものがたとえ実際には困難であったとしても、夢にすぎないものであったとしても、それを捨て去るのではなく、大切にして生きていこうとする意志を、さらっと歌い上げているのです。その「まぼろし」が元春にとってどのようなものかは分からないのですが、人間が自分の道を迷いつつも歩んでいく上でそれは大切なものだと思います。何らかの社会変革を目指す理想主義者にとっては、なおさらそれが大切です。
「つまらない大人にはなりたくない」という言葉はストレートで、インパクトがあります。この言葉通りに、少年(少女)的な心性(例えば、夢を大切にして生きようとすることや、何かに抗う気持ち)を捨てずに生きようとする元春ファンは多いと思います。私もそのような一人です。少年のように、何かを空想したり、思ったことをすぐ行動に移したり、あるいは、何かに純粋に心を震わせたり、それらは心の若さに通ずるものです。それは、結局、少年の「イノセンス」と元春が表現するものだと言えましょう。
しかしながら、元春自身は自らが発したこの言葉の責任を重く感じて、いつしかこの曲を歌えなくなる時期があったそうです。それは、おそらく、ロック音楽の商業性を、自身の人気が高まれば高まるほど強く感じ、その一部となっている自分と「少年でいること」との矛盾が元春の中で大きくなったからだと思います。そうした矛盾にどう向き合うかということも、元春の音楽の発展の中では一つのテーマだったのでしょう。(後に「僕は大人になった」という曲を書いています)これについても、色んな意見があるかもしれませんが、元春自身の歌詞の言葉に対する誠実さが強く感じられますし、そうしたエピソードを踏まえることで、むしろ、より一層、上の「ランド・ホー!」での元春の「ガラスのジェネレーション」のメッセージがパワフルに響くのです。
「ガラスのジェネレーション」は昔から好きな曲ですが、年月がたっても聴き飽きない曲です。時々間をあけて聴くと、そのたびに元気をもらえます。
80年代の半ば以降、元春のライブではしばらく歌われない時期もあったそうですが、様々なライブバージョンがあります。1980年代半ばの横浜スタジアムミーティングでは、ピアノ伴奏によるスローバージョンなどもありますが、私にとって、一番エネルギッシュで心に響いたのは、ハートランド解散ライブ「ライブ・ホー!」における演奏です。数万人の観衆を前に、「Hello City Lights!」のところで手を振る元春、転調後の最後のパートで力強く「つまらない大人になりたくない」と叫ぶ元春の歌には心が震えます。元春のライブ演奏の中でも、最もパワフルなワンシーンだったのではないかと(勝手に)思っています。
この曲から受け取るメッセージは、他の元春の楽曲と同様、一人一人異なるでしょう。色々な受け取り方がありますが、私には、この曲は、社会の変革を求め、理想を追求する若者たちの運動の消失を背景にした曲のように思えます。元春が少年時代を送った1970年代、大学で学生運動などが激しく起こり、元春はボブ・ディランの曲などを聞きながら、「本当に社会が大きく変わるかもしれない」と感じていたといいます。
しかし、そうした社会の熱気が冷める中、社会の変革を求める理想主義者たちは、人々の「連帯」が衰退する中で孤立化していったように思います。そして、その傾向は現在まで続いていきます。理想を抱く者は、「ひとりぼっち」の寂しさを味わいながら孤独に闘いつづけなければならなくなりました。「さよならレボリューション」という言葉はそのように聞こえます。
(*脱線になりますが、この「ひとりぼっち」は、夏目漱石の小説「こころ」において、「先生」が「私」に書いた手紙の中の言葉、「自由と独立と己とに充た現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」に重なるところがあります。)
主人公は、そのように理想や社会変革の夢を描きながらも、そうした理想や夢がいずれ滅びさる運命を知りつつも、「Hello City Lights!」と街明かりに心の中で呼びかけながら、この街での自分と生活を肯定して生きていこうとしています。
ラブソング的な表現も歌詞の中にありますが、ここでの「君」は「社会」を表しているように私は感じます。「君はどうにもかわらない 悲しいけれど」は、社会変革に対するある種の諦観を表しているように思います。しかし、その中で、「君のまぼろしを守りたい」とも主人公はつぶやきます。「君を守りたい」ではなく「君のまぼろしを守りたい」という歌詞は実に元春らしい言葉だと思います。ここでの「まぼろし」とはかつて心に思い描いた「理想」のことではないでしょうか。この歌詞を聞くと、毎回子どものように心がキュンとなってしまうのです。「こうあってほしい」と思うものがたとえ実際には困難であったとしても、夢にすぎないものであったとしても、それを捨て去るのではなく、大切にして生きていこうとする意志を、さらっと歌い上げているのです。その「まぼろし」が元春にとってどのようなものかは分からないのですが、人間が自分の道を迷いつつも歩んでいく上でそれは大切なものだと思います。何らかの社会変革を目指す理想主義者にとっては、なおさらそれが大切です。
「つまらない大人にはなりたくない」という言葉はストレートで、インパクトがあります。この言葉通りに、少年(少女)的な心性(例えば、夢を大切にして生きようとすることや、何かに抗う気持ち)を捨てずに生きようとする元春ファンは多いと思います。私もそのような一人です。少年のように、何かを空想したり、思ったことをすぐ行動に移したり、あるいは、何かに純粋に心を震わせたり、それらは心の若さに通ずるものです。それは、結局、少年の「イノセンス」と元春が表現するものだと言えましょう。
しかしながら、元春自身は自らが発したこの言葉の責任を重く感じて、いつしかこの曲を歌えなくなる時期があったそうです。それは、おそらく、ロック音楽の商業性を、自身の人気が高まれば高まるほど強く感じ、その一部となっている自分と「少年でいること」との矛盾が元春の中で大きくなったからだと思います。そうした矛盾にどう向き合うかということも、元春の音楽の発展の中では一つのテーマだったのでしょう。(後に「僕は大人になった」という曲を書いています)これについても、色んな意見があるかもしれませんが、元春自身の歌詞の言葉に対する誠実さが強く感じられますし、そうしたエピソードを踏まえることで、むしろ、より一層、上の「ランド・ホー!」での元春の「ガラスのジェネレーション」のメッセージがパワフルに響くのです。
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